貿易戦争と日本

「我々は中国にカモられている。日本からカモられている。メキシコからカモられている。カナダからカモられている。全世界からカモられている。アメリカをカモにしていない国はない。」トランプ米大統領、2018年選挙資金調達にて

 

トランプ大統領が中国に仕掛けた貿易戦争が悪化する中、日本は自国の経済への悪影響を懸念して、世界各国と経済関係を強める政策を実行している。中国、ヨーロッパ連合、そしてアメリカ:2018年9月27日、安倍総理は何年もためらっていたアメリカと二カ国間貿易協定を結ぶ同意をした。

 

野村研究所エグゼクティブ・エコノミスト木内登英は2018年9月20日のレポートで、「米中貿易戦争が日本の産業に与える影響に注目すると、最も大きな打撃を受けると予想されるのは自動車産業である 」と言う。アメリカ経済が貿易戦争により停滞するにあたって、「日本の自動車産業は対米輸出依存度が他の産業に比べて大きいため...日本経済の将来にとっても損失は極めて大きなものとなろう」と主張する。この日本産業の輸出の金目となる自動車に関税の脅威を前にして、安部総理は考えを変えたようだ。

 

日本の大手企業経営者も米中貿易戦争の進展具合を懸念している。2018年9月28日の日刊工業新聞は、日本大手企業経営者の76%が「貿易戦争が鉄鋼や素材、自動車関連、電機など製造業を中心に、事業への悪影響を懸念する」とアンケートで答えた、と伝えている。

 

2018年9月22日の日本経済新聞の記事によると、日本の製造業者は「長期的視点」を念頭に生産拠点と輸入地域をシフトしている。ホンダ、三井、住友、丸紅、そしてユニクロ社など、多くの企業が中国とアメリカからタイ、ベトナム、ブラジルなどに事業を移している。

 

日本は他国との協調性も高めている。世界経済の3割を占めるEUとの自由貿易協定を2018年7月17日に締結したあと、安倍総理は選挙戦の勝利に励まされ、中国や他の国との関係を強めたいようだ。

 

安部総理は 2018年9月2日の産経新聞とのインタビューで、「日中関係は完全に正常な軌道に戻った」と語った。 貿易戦争が悪化する中、日本は中国が後押ししている16カ国間、10か国のアセアンメンバー、中国、オーストラリア、インド、ニュージーランド、韓国も含めた、世界人口の約半分、GDPの3割をカバーする自由経済協定に加わることを検討している。日本はこの提案に「前向き」であると報告されている。9月22日、日中韓の間で自由貿易協定を結ぶべき、との声も上がった。

 

上の例を見ればわかるように、米中貿易戦争が悪化する中、日本は十分に対策を練っている。安部総理の行動は活発だ。世界各国のプレイヤーと自由貿易協定を結ぶ、もしくは交渉を始める。また、企業も長期的な取り組みとして活動地域を他国へ移す。アメリカとの二国間貿易協定を結ぶ決定をする。これに加え、TPPプラス11、インドと関係を深めるなど、日本の外交政策も堅調に推移している。

 

国連事務総長アントニオ・グテレスは今の世界情勢は「ますます混沌とした世界秩序」と表現する。日本はこの新しい、無秩序な世界に対応していく準備を進めているようだ。

歴史は勝者が書く

先日私が出席したネットワーキングのイベントで出会った、ある証券会社の役員が「日本が実際起こった出来事に反する風に歴史を書き換えようとしている」と私に挑戦してきた。

真っ先に私が考えたのは、なぜ確信をもって分かるのか。実際現場を目撃したのか。

太平洋戦争、目撃者は残り少ない。歴史とは捉えどころのないもの、過去から残った証拠や証言を元に「歴史」という物語を築いていく。そのため、歴史はいかようにも解釈でき、時代によって変化もする。アメリカでも、独立戦争、南北戦争の新解釈を表わす本は後を絶たず、常に出版されている。女権論者や民権論者も、その主張を社会に受け入れられる働きを現在も続けている。

日本も変わりない。過去に書かれた「歴史」を日本に優位なように確かに書き換えようとしている。それは戦後の歴史、その「物語」は、アメリカの影響が強いからだ。

戦後日本史はアメリカによって書かれたところもある、とも言える。

日本憲法、戦争責任を追求した東京裁判、日本反戦主義。

アメリカ映画で最近、トミー・リー・ジョーンズがマッカーサーを演じる、米国日本占領政策についての作品がある。日本天皇がどこまで真珠湾攻撃の決断に加わったか。この映画は、決定的な決断をしていないが、日本側の視点を豊富に取り入れている。アメリカ人が日本人は第二次世界大戦についてどう考えているか興味を持ち始めている表れかもしれない。

日米関係の世界で働く私にとって、重いトピックについて語るべき時はある。南京虐殺、従軍慰安婦、真珠湾攻撃、原爆、米国日本占領、憲法第9条、沖縄米軍基地、米兵による日本市民のレイプ、日米関係の将来、日本・韓国の関係、北朝鮮、6カ国協議、そして日本の役割、日本再軍備、自衛隊日本外交政策の役割、日本外交政策のODA、国際社会における日本企業の役割、ほかにも多々ある。今日はこのトピックについて語らないでおこう。

私の主張は以下の通り。歴史は勝利者が書くのが一般的。勝利者、そして占領者としてのアメリカは日本のならず、世界規模で歴史、国際規定・法律・機関の設定に多大な影響力を及ぼした。

この状況がアメリカに有利だったのは言うまでもない。

これがいけないと思う人もいるかもしれない。が、そうとは限らない。

常に変化している国際環境において、アメリカの力は今停滞している。権力の主権を握る国が無くなって来ている。アメリカが戦後築いてきた世界、それに伴う「物語」が挑戦されるのは当たり前の事、不可避だ。

では、日本が書こうとしている歴史は噓になるのか。違う。日本は国を強める「物語」を求めている。私たちは戦前、戦中に起こった悪夢時代の権力者ではない。こう言った「物語」はたえず変化していくのが自然の成り行きでもある。「物語」は社会、政府、そして同盟にも実質的に影響を及ぼす。

証券会社の役員のコメントは正しい。確かに、日本は歴史を書き換えようとしている。国際的な脅威に囲まれた日本、そしてアメリカに不安を持つ日本人が増える中、国を強めることのできる「物語」を日本は求めている。

欧米がロシアのクルミア進行を止められなかったのを覚えている人は多い。日米同盟はまだ公に試されたことがない。日本のために、アメリカは米兵の血を流す覚悟が本当にあるのか。アメリカはそう主張するが、言葉と行動は必ずしも一致するものではない。

歴史はあやふやなものだ。歴史の「物語」は権力争いの都合により、変えられる。私はどの歴史の解釈が正しいか、まだ発言するつもりはない。しかし、歴史には多彩な解釈があり、それに変化も加えられることは理解している。

私は確信を持って言う。歴史の解釈は変わるものだ。

沈黙、ユーモア、俗語

日米間でよく見られる誤ったコミュニケーションの落とし穴について書いてみた。

まだまだ書き足りない。誤ったコミュニケーション以外に、コミュニケーションのモードの違いもある。

今回のブログ記事は、次の三つについて書いてみた。沈黙、ユーモア、そして俗語。しかし、実際のところ、日米間コミュニケーションの違いについては、簡単には語り切れず、本を書く必要があるほどだ。

 

沈黙

日本では、沈黙は許される。

日本のテレビドラマや映画で、夫婦間の愛情を表現するとき(特に結婚生活が何年も続いている場合)、二人は沈黙を保つシーンがよく見られる。

何時間も。

こういった場面は現実でも見られる。日本では、愛情は空気で感じるものだ。アメリカは反面、言葉で表現する必要がある。

国際結婚では、この表現方法の違いが問題になることもある。

 

日本人奥さん:「ただいまー。」

アメリカ人旦那さん:「おかえりー。今日仕事うまくいった?」

奥さん:何も言わず、静かに別の部屋へ入る。

旦那さん:「ああ...」

 

会話のない夫婦はアメリカでは険悪な仲ということになるが、日本は必ずしも、そうとは限らない。日本では愛情は空気のように、肌で感じるもの、口に出してあえて言わない。

アメリカでは家庭内でよくお互いに「愛してる」と言い合う。日本では奇妙なものと考えられ、あまり言わない。

アメリカへ来た当初、私は会話中沈黙を保つことがよくあった。アメリカ人の多くは驚いた。アメリカでは健全なコミュニケーションを保つため、会話は続ける必要がある。

アメリカ生活18年目の今でも、アメリカ人のグループで、皆が積極的に会話する中、私は沈黙を保つ時もたまにある。会話に加われないわけではないのだが、日本育ちのためだろう。無駄話や不必要なジョークを私は好まない傾向がある。

しかし、日本人は無駄話に我をなくす場合も確かにある。そこて、次のトピック:

 

ユーモア

日本人にユーモアのセンスはあるのだろうか?イエス。アメリカ人は日本人は堅い、ユーモアに欠ける民族と考えるのは珍しくない。日本が豊かなユーモアの歴史・文化を持っていることを理解していないからだ。

アメリカではユーモアは水のようだ。あらゆる機会にユーモアを出して、文化的に多く飲むことが期待されている。

日本のユーモアはアルコール。面接で酒を飲むと、仕事を得られないかもしれない。米国では、面接中にユーモアセンスを披露すれば、候補者の自信と才能の現れとして積極的に解釈されるかもしれない。他に、親が子供の先生に会う時、少々のユーモアを出す事が起こるだろう。親と先生、冗談をお互いに言うかもしれない。仕事後の飲み会は、このユーモアを含んだ酒を多く飲み、「酔っぱらい」になる。

ユーモアの話題も違ってくる。欧米は根強いユダヤ・キリスト教の伝統がある。例えば、アメリカのコメディアンは、コメディークラブで、敏感な問題、トピック、言葉をよくジョークのネタにする。

日本では、芸能人は話の流れで現れてくるユーモアを指摘して、自己嘲笑的なジョークで笑いに繋げるのを好む。

私は人を笑わせるのは得意だ。私が育った関西人のノリで。

私は自称アメリカ関西人。アメリカでの生活に慣れる中、周りの人は「あなたは変わっているが、面白いことを言って、人を笑わせることができる」とよく言われた。

私のユーモアセンスは関西育ちに影響されている。では、この関西ユーモアに俗語を加えるのは?

  

俗語

日本では俗語が本当にない。

何?!

アメリカ人は、日本では俗語が重要視されてないと知ると、必ず驚く。

アメリカ人は俗語を好む。

日本には欧米のユダヤ・キリスト教の厳しい規則がない。アメリカなどで、俗語は排便、性行為、近親相姦、神にとって罪となるものがそうなる。

日本人にとってこう言った言葉はそれほどインパクトはなく、気にしない。

日本では声のトーンだ。どの言葉を言うではなく、それをどのように言うかで、支配力、敵意、侵略を相手に伝える。一見落ち着いてる日本人が、怒らせたら、敵意を声のトーンで感情をこめて表す。

私と一緒に日本に行きたい人は、しばらくジョークを話さずに静かに座って、突然感情的に爆発することが起こるかもしれないが。

アメリカでは極端な感情の切り替えは、頭がおかしい、狂っていることの兆候になるが、日本では起こり得る。

文化的コミュニケーションのミス

日米関係の歴史で、両国間最も大きな文化的コミュニケーションのミスはなんだったんだろう?

おそらく米国は、日本に石油禁輸措置を発動する際に、真珠湾への報復攻撃を予知しなかったのだろうか。あるいは、米国が戦後日本経済復興が可能だと予期していなかったのかもしれない。

それは全て歴史上の話だ。ここで触れない論争が多くある(原子爆弾が実際に日本を無条件降伏に追い込んだかどうか...)だが今は伏せておこう。

コミュニケーションの問題点は幾つか考えられる。

 

謝罪

日本では、グループ内、そして上下関係を維持するのに、謝りが大切になってくる。日本人は、場合によって、すべての当事者全員が謝る必要はないのを理解していても、謝る時もある。アメリカ人は反面、明らかに過ちを犯した場合でも、謝りたがらない傾向がある。それは不必要であると考え、期待していないことが多く、弱さとして解釈される場合もある。そのため、アメリカ人のこの習慣に慣れていない日本人は、謝罪することでアメリカ人に逆利用されることもある。

 

 

グループ合意形成型文化と自己主張型個人主義文化

日本人は協調を好む反面、アメリカ人は競争、そして時には規則破りを好む傾向がある。80年代、アメリカへ進出した日系企業は、独占禁止法違反ということで訴訟を受けることが多々あった。ライバル企業間の協力は日本では珍しいことではないが、アメリカでは違法になる。

日本の諺に「出る杭は打たれる」がある。この伝統は社会的調和を強める反面、アメリカ人が重要視するリーダーシップや社会改造が弱まる結果になる。社会、そして組織レベルでの変化や制度改革の異なる価値観が日米の食い違いに繋がることもある。

日本では、個人は社会に貢献し、自分自身を犠牲にする。米国では、社会より個人を尊重すべき、といった考えが強い。例えば、アメリカ人は、残業を避けたがる。日本で残業を無視し仕事が残れば、職を失くすことになり兼ねない。

 

人々への率直なコメントや他の社会的価値観

「君、太ってるね〜」「おまえ、すごい顔してんな!」「アホか、てめぇー」日本では、こういったコメントを率直に言って来ることがよくある。アメリカではこれは全て礼儀に反する。アメリカ人が日本で生活すると、なんども肥満度に関するコメントを言われ、気に触ることなどは珍しくない。日本人がアメリカに行き、こういったコメントは無礼だと知らず、周りを怒らせる、といったこともよくある。日本では、こういったコメントは実は好意の表現の場合もあるが、アメリカではそうはいかない。

文化間の礼儀に関する概念の違いだけが理由ではない。上下関係や男女関係など、言語などを通して日本文化は根本的に形成されている。アメリカ社会は日本文化よりフレキシブル。まだ若く、移民の国だ。日本の文化は2000年以上遡り、移民もあまりない。文化的価値観は根強い。

 

ナショナリズムのプライド

国際関係やビジネスはナショナリズムなくては語れない。文化や歴史の解釈・価値観の違いから生じる不信や憤りは、ナショナリズムの感情を増幅させ、お互い信頼が損なわれ、憎悪が高まる。

愛国心は自分の国家に誇りを持つこと。ナショナリズムは自国が他国の全てより優れている考え。

文化的価値観の食い違いは、効果的な仲介者なくては、個人・組織レベル両方で、ナショナリズムが悪化させることもある。

「なにこの仕打ち?日本人/アメリカ人ならこんなことするわけがない!これはひどい...」

「こんなメッセージ送ってきて、ほんとアメリカ人/日本人は話が通じない!どう、こいつらと仕事しろってんだ。」

日米両方の文化の中で発生する、こういったコメントを私は何度も聞いている。立ち振舞い、思考、そして行動も両文化が異なるため、お互いの理解が損なわれると、信頼を回復するのが難しくなる。

私は日本生まれのアメリカ市民で、愛国者でもある。しかし、ナショナリストではない。日米両国に忠誠心は確かに持っている。だが、幼少の頃から世界中の市民に囲まれながら育ったため、私は客観性のある世界観を持っている。日米関係、そして世界を考えるに当たって、私はナショナリズムから発生する感情にとらわれにくい。

文化的価値観の食い違いの可能性は常に存在する。しかし、両文化の理解、そして文化の摩擦がどこから来るのかを把握すれば、両文化のコミュニケーション向上に繋がる。

1からネットワーキング

2012年6月上旬、シアトルからJFK空港へ片道チケットで着いた。社会での実用性があまりない国際政治の修士を取得したばかりで、所持品はダッフルバッグ2つ、スーツケース1つ、そしてパソコンのみだった。

住居と仕事、共に当ては無かった。

まともな人なら、気が狂っていると言う所だが、私は自信満々だった。ニューヨークでキャリアを積む気でいた。

10カ月と言う短い期間で、読売新聞国連担当という職を見つけることが出来た。この間、色々なバイトをこなしながら乗り切った。

ネットワーキングを通して、日米関係と多彩な世界の実力者と強い関係を築いた結果、成功を手にした。

自信の元は?

1から、知り合いのいない新しい環境で、根強い、楽しい、そして信頼感のあるネットワークを築き上げるのは何度も経験済みだったからだ。日本で、シアトルで、モントレーなどで。

私は自称、「世界間大使」。ネットワーキングが生活の基盤にあった。多彩な人物・コミュニティをナビゲートし、関係を築いていくのは、幼少時代からの蓄積してきた私の宝物、成功の証は今までの積み重ねの賜物だ。

私はまず、ニューヨーク市内で、できるだけハウスメート数が多い場所を探した。入居したのはブルックリンのブシュウィック、10人ほどが住んでいて、全員、私と歳も近い。

私「今無職だけど、貯金はあります…」

マネージャー「なら2カ月契約にしよう。ところで、あんた、どこ出身なの?マジ日本?」

住居の条件は申し分ない。20代後半、30代前半の学生・社会人と共同生活。裏庭もあり、パーティーをそこで開くこともあった。

入居当初、仲が良くなるまで、こんなエピソードもあった。

昼寝中の私に、私の噂が耳に入ってきた。

「何、この日本男?」

「作り話に決まってんじゃん!」

昼寝から起きて、日本永住権が記載されているパスポートを彼らに見せた。皆驚いたが、最後には仲良くなれた。

すぐネットワーキングを始めた。私はプロフェッショナルをサポートする団体のメンバーになったり、ミートアップという社交グループの一員にもなった。

ニューヨーク社会に身を投じた。日米関係のプロ、国連大使、銀行員、政府高官、私のネットワークは徐々に、数・質とともに広がり始めた。出会った人には必ずメールを送った。その後、補足メールも。リンクトインを積極的に使い、ネットワーキングのイベントは出来るだけ出席した。

こうした努力の甲斐があり、ワシントンにある米外交問題評議会上級日本研究員シーラ・スミスさんが会ってくれた。ミーティングは大成功、シーラ・スミスさんが当時のマンスフィールド財団デービット・ボーリング副所長さんに紹介してくれた。マンスフィールド財団は、元米上院議員、そして日本大使を勤めたマイク・マンスフィールド氏が築いたアジア・米国関係の財団だ。

財団本部でお会いしたデイビッドさんは背が高く、存在感もある。

「今日会って頂きありがとうございます…」

「シーラの頼みだからね。」率直に答えてきた。

会議室は私とデイビッドさんだけ。

私の履歴書に目を通した後、会話が日米の法律や弁護士へと話題は移っていった。デイビッドさんは元弁護士。キャピタル・ヒルでの職歴がある。ミーティングの前に、当然のことだが、彼の経歴を調べていた。

デイビッドさんは「アメリカは弁護士が多すぎる反面、日本は数が足りないのが現状だ。」

「アメリカの余分な弁護士を全て日本へ強制移動するのが得策では?」と私はジョークで切り返した。

デイビッドさんは笑い出した。

「君がリアル・ディール(本物)だ。君を何人かに紹介しよう。我が財団は今空きがないが、ワシントンに来たら、また会いに来なさい。」

ワシントンは月に2回、ニューヨークでのネットワーキングを続けながら行き始めた。何ヶ月後、また、デイビッド・ボーリングさんに会いにいった。私のそこまでの成功の積み重ねを話した。

デイビッドさんは興味を示し、「読売新聞への紹介状を書いてくれる」と言い、そこから私の国際社会でのキャリアが始まっていった。

なぜ「マシュー・エドウィン」

マシュー・エドウィン・インターナショナル、LLC。

設立した会社名は、私のフルネームから来ている。マシュー・エドウィン・カーペンター。私のファーストネームとミドルネームには意味が込められている。

両親ともにアジア研究家で、父、ブルース・カーペンターは、漢詩と美術史のエキスパート、母、ジュリエット・ウィンターズ・カーペンターは、国際的に認められている日本文学の翻訳者である。

二人の長男である私の名前を日米関係へ深く貢献した、マシュー・ペリーとエドウィン・ライシャワーの二人の男からとっている。理由は他にもあるが。

マシュー・ペリーは海軍将校。1853年、江戸へ艦隊を率い、徳川幕府が300年も続けていた鎖国政策をやめさせた。

ペリーの「黒船艦隊」は当時の日本人、特に若者に、欧米の植民地化の脅威にさらされている事実を明らかにした。中国はアヘン戦争に負け、植民地支配され、利用されていた。日本で若者を中心とした革命運動が起こり、1868年、明治維新で300年権力を握っていた徳川幕府が倒れることとなった。

エドウィン・ライシャワーは私と同じく日本生まれのアメリカ人。1910年、キリスト教宣教師の家庭に東京で生まれる。ハーバード大学の学者であり、東アジア研究を立ち上げ、アメリカでファースト・ジネレーションのアジアエキスパートを教育した。

ケネディ大統領はライシャワーを日本へ大使に任命して、1961年から1966年まで勤務する。ハーバード大学の日本研究学部は彼の名前に由来する。

すなわち、二人の巨人ともいうべき日米関係キープレイヤーから私の名前は付けられている。日米と国際関係に貢献することを心がけている私にとって、重みのある名前だ。

そのため、私の二つの名をを会社名に選んだ。全く異なる言語、習慣、歴史、そして思考から成り立っている日米間の文化のコミュニケーションに貢献できることを願っているためである。

マシュー・ペリーは孤立が長引いた日本を脅威溢れる国際社会へ目覚めさせて、日本と世界との門を開いたのだ。

ライシャワーは日本だけでなく、米国内でアジアに関する認識と対話に貢献した。日米関係も強まり、彼は命懸けだった。日本人に襲われ、怪我に由来する病気で命を落とすことになった。

日米間だけでなく、世界諸国は国際情勢の危機にさらされている。脅威は北朝鮮だけではない。グローバル化した世界では、地域の不安定さは世界的な波及効果を及ばす。シリア、ウクライナ、スーダン、ラテンアメリカ、そして他で起こることは、日本、アメリカ、日米関係、そして国際社会にも影響を及ぼす。

日本とアメリカの指導者はこれを十分理解している。オバマ大統領が、最後に核兵器放棄の広島を訪問したのには理由がある。安倍総理がトランプ大統領就任前、真珠湾を訪ねたことにも理由がある。また、トランプ大統領は、公ではアメリカの経済的孤立とナショナリズムを唱えているが、それにもかかわらず、日本との関係を重視していることにも理由がある。

私はこのプロセスへ貢献するため、ここにいる。微力ながら、マシュー・ペリーとエドウィン・ライシャワーの名に恥じぬよう働くつもりだ。

日米マネージャー体験談

「読売新聞に世界を」を書いたばかりだが、実際のところ、私は国連では職業人ではなかった、と自分自身を鑑みている。確かに競争はあった。成功するのには難しい環境だった。だが、私は国連、そして読売新聞という大組織に守られ、温室の中で働いていた。ある意味、2年間にも及ぶインターンシップだった、と考えている。

ニューヨークで職業人として初めて私を成長させてくれたのは、次に入社した、マンハッタンにオフィスを持つフレスコ・インターナショナル社(以後フレスコ社)での体験だった。

2015年6月、マネージャーとして、航空自衛隊が主な取引先の、東京に本社を持つ貿易会社、STD社のニューヨーク支社に入社した。仕事量は国連で私が直面したのを圧倒していた。勤務は真夜中まで続き、週末も頻繁に出社した。「ネットワーキング」だという名目で、毎日外交官とコーヒーブレイク、そしてパーティーや飲み会などが頻繁だった国連とは違う仕事内容と環境だった。

フレスコ社で完璧なバイリンガルのアメリカ人社員は私一人。日本人に囲まれながら仕事に専念した。貴重な経験を幾つも得た。また、私が生涯初めてマネージャーとして勤務した半年でもあった。

マシュー・エドウィン・インターナショナルを設立したのは、日米関係に貢献したいという強い思いからである。それは小学生の時からの夢であり、今まで学生を経て、社会人として頑張ってきたのは、それを実現させる為だった。フレスコ社で、日米関係が具体的にどう働くのか、自分の目で見、そのプロセスに加わり、貢献もできた。

具体的な話をしよう。

フレスコ社は、日本のSTD社のため、米国内の軍事部品製造会社から自衛隊が必要とする部品を入手するのが主な仕事で、製造会社に加え、米国務省、日米税関、そして何カ国かの輸送会社と関わっていた。マネージャーとして、私はこういった幾つにも及ぶ団体の間に立ち、情報、資金、そして輸送品がスムーズに進むように働きかけ、問題が出てくれば、交渉し、対応していった。また、耐えず、新しい製造会社と関係を築く為の交渉を続けるのも仕事の1つだった。

入社してすぐ、JFK空港の輸送会社から連絡が入った。高額な輸送品の出荷許可が税関から下りない。東京行きの輸送が滞っていた。自衛隊は、「この輸送品が1週間以内に届かなければ、支払いはしない」といって来た。そうなれば、フレスコ社にとっては大損害だ。

事務所からの電話連絡だけでは状況がうまく把握できず、電話の交渉では話も進まない。時間も無い。解決のため、私1人で現地に向かい交渉することになった。

空港へ到着した私は、関わっている輸送会社と税関の担当者に会いに行った。米輸送会社代表は、日系企業から日本語が流暢なアメリカ人が来たことで、意外だというリアクションは隠さなかったが、同時に、英語で話を進めることができ、安心もしたようだった。税関官僚は、官僚らしく、無表情。結果として、私は本社と連絡を保ちながら輸送会社と税関を行き来し、問題の実態を把握できた。

問題は、税関へ提出すべき書面が正しくないことが判明した。米輸送会社担当者の説明を受け、書面を書き直した。その後、税関が承認して解決した。輸送品は自衛隊へ時間内に届くことができた。

業界にいれば、誰にでもできそう、と思うかもしれない。が、意外と難しい。

時間が限られていた。その短い時間内に、日米文化と言語の壁から生じるコミュニケーションが具体的にどこで、どうやって食い違っているのかを把握する必要がある。話し合いと交渉を続け、問題点をうまく解決していく。そして、米会社と政府機関が満足できる書面を作り、書面を税関が承認した後、出荷品がきちんと日本へ輸送されたことを確認。この間、米団体との英語でのやり取りを、正しく日本語で同僚と親会社の社員へ報告。日本から情報も、米国側へ正確に伝える。

具体例はまだある。前任のマネージャーが国務省からの指示を理解できず、その結果、高価な部品が出荷できず倉庫止まりになって、2年近く経っていた。国務省との交渉も話が食い違い、進まない。

この案件を解決すべく、フレスコ社と国務省のメールの履歴2年分を読み返した。フレスコ社の日本人社員が書く英文は、ネイティヴレベルではないので、国務省官僚には分かり辛いと思えた。私は直接、国務省に電話、交渉し、先方の指示を仰いだ。国務省からの説明と指示をフレスコ社とSTD社社員に日本語で説明。結果、2年間倉庫止まりだった高額な輸送品の出荷に成功した。

日常的な業務にも貢献した。フレスコ社・STD社社員の間に立ち、コミュニケーションが滞った時だけでなく、問題が起きないよう、たえず注意していた。文法の訂正から英語で直接電話して、欧米会社と政府機関などに、日本側を代表して交渉した。何社にも及ぶコミュニケーション、出荷品、そして資金の流れがきちんと進むよう、自分のバイカルチャー・スキルを活かして、働いた。

フレスコ社は半年で退社した。理由は主に、健康保険に関連するものだが、貴重な半年だった。初めて、自分のバイリンガル、バイカルチャー・スキルを積極的に活用した職場だった。日米関係が、どう働いているのか、現地レベル、そしてビジネスレベルで、生で経験できた。

これからのキャリア、私がこの商社に貢献できたよう、多彩な団体や人たちに貢献するのが私の望みである。

読売新聞に世界を

マンハッタン、ミッドタウンでの面接で、私は読売新聞社員3人に囲まれていた。そのうちの1人は後に私の先輩となる加藤さん。当初英語で始まった面接が、いつのまにか日本語になっていた。

支局長が「履歴書に日本語が流暢に話せる、と書いている人は結構いるんだけど、ほとんどの場合面接すると誇張しているだけで話せないのね。」私は明らかに例外だった。日本語で話し始めたら、皆ギョッとした。日本のエリートが働く読売のベテラン記者でさえ、これほど日本語が流暢なアメリカ人と話す経験はあまりなかったようだ。

面接が終わった時、難問を投げて来た加藤さんは、緊張していたか、と聞いてきた。「それはもちろん!そう見えませんでした?」私は躊躇せず答えた。

「いや、見えた。素晴らしい。」私の答えを気に入ってくれたようだ。

リフレンスを提出して、数日後、読売から電話がきた。私は読売新聞の国連記者として入社が認められた。

仕事は次の月曜日早速始まった。加藤さんは私を会議室に連れて行き、読売からの期待がどんなものか説明した。

「君の主な任務は北朝鮮の年次極秘報告書を入手すること。国連で最もガードが堅く、入手が難しい。前任の国連担当は結局入手できなかった。ここ数年読売は共同と朝日に負けが続いている。両社とも国連での情報源を確保している。俺は、君の好かれやすい性格と過去の営業の実績をかって雇った。そして日本語も話せる。」

「君に期待している。」

私の2年間に及ぶ国連での冒険が始まった。

1年目はあまりうまくいかなかった。

仕事初日、加藤さんに国連へ連れていかれた。私の国連パスを入手した後、新しい仕事場を紹介してもらい、私を置いて支局へと戻った。私はその時点では、国連で知り合いは一人もなく、ジャーナリズムも無経験。1年前、読売の初めての外国人記者がヤクザのことを書いた『トウキョウ・バイス』を読んだ程度だった。

まず、私は外交官、イギリス、フランス、アメリカ、レバノン、そして国連職員、会ってくれる人は全て会った。そうすると、国連メディアには上下のランクがあるのが見えてきた。トップメディアはニューヨークタイムズやロイター。扱いがいいだけでなく、外交官は自主的にこういったメディアに情報を提供していた。このトップメディアのジャーナリストは自分たちの国連内での地位を態度で表して、隠さなかった。

日本メディアは中の下。また、日本は国連に10社ほどのメディア置いていた。加盟国の中では一番多い数だ。読売の影響力が日本では強い、といっても、外交官にはどうでもいいことだった。国連外交官のほとんどは、「日本メディア」を概念的に一つとして認識し、私はその一員として扱われた。門前払いや電話を会話中切られるなど、厳しい扱いだった。

読売新聞は日本メディアの中でも最も激しいとして知られていた。私が当初情報源を見つけるのに苦労する中、加藤さんは私に対して、その評判に見合った態度だった。

「一体何やってんの?」先輩の不満は、読売新聞の国連内の地位は思っていたほど高くなかったところからもきていた。加藤さんはニューヨークに来てまだ間もなかった。

そして、国連に合わないアドバイスをした。

日本国内では、読売の記者は情報を欲しがっている時、相手がうんというまで10分おきに電話することで知られている。また、他人の仕事場へ直接足を運んで情報を要求することでも知られている。

こういった行動は、読売新聞が日本国内の揺るぎない地位と知名度のため許される。しかし、国連ではそうはいかなかった。加藤さんは私に、読売ならではの伝統に従った行動を実行しろ、と要求して来た。私は外交官に何度も電話し、国連高官のオフィスに無断で入った。私の国連での評判はスタート時点で悪くなってしまった。

2014年初め、ある夜の午後11時、加藤さんが電話して来た。北朝鮮制裁委員会の年次報告書が回り始め、競争相手がそれを入手することに成功した。加藤さんは焦っていた。

「どんどん誰にでも電話しろ。」しかし、結果はダメ。1年目、報告書の入手に成功しなかった。朝日と共同にまた出し抜かれた。

しかし、私はやめる気は毛頭なかった。

しばらくして、報告書が一般公開された。それに伴って、韓国代表部が記者会見を開いた。

加藤さんは私にレポートを読むよう指示して来た。何百ページもあり、詳細に詰まっている。私は時間をかけ、最初から最後まで読み上げた。

記者会見では、韓国国連大使と一緒に、北朝鮮制裁委員会委員長、そして外交問題評議会朝鮮半島の専門家が出席した。国際メディアと外交官も出席した。世界中、テレビやネットを通して、数知れない多くの人が見ていた。

スピーカー達の説明が終わり、質疑応答に移った。私はこのチャンスを逃す気は無かった。

幾つかの質問の後、手を挙げた。選ばれなかった。加藤さんは私の隣に座っていて、目に見えて緊張していた。

また私は手を挙げた。そしてまた。とうとう、ついに選ばれた。

「私はマシュー・カーペンター、日本の読売新聞の記者です。先ほどあなたの説明では、国際社会からの委員会の活動への協力が過去15ヶ月間に増えている、という話でした。今回の報告書には、輸入/輸出の貿易業界は一般的に安全保障理事会の北朝鮮に対する制裁の理解がかけている、と書いてあります。私の質問は、国際社会の協力が過去15ヶ月間に増えているのならば、貿易業界の制裁に関する理解も高まっているのでしょうか。そうでなければ、何をしているかです?」

「ありがとうございます。」

加藤さんは頭を低く、深く、と揺れて下げた。一瞬、「私は悪い質問をした」と思い、パニックになったが、委員長の反応を見て、何かが違っていることが起こっていることを実感した。委員長は、緊張した声で話し始め、態度から自信が失せていった。

記者会見後、加藤さんに質問を気に入ってくれたかどうか尋ねた。先輩はただうなづいただけで、答えてくれなかった。

しかし、その後のレセプションで、ベテランのジャーナリストは私がこの会見で最も質の高い質問をした、と祝福してくれた。外交問題評議会朝鮮半島の専門家に自己紹介したところ、彼は私を睨み付け、「あれは難しい質問だった」と言った。

私の国連内の評判は1晩で変わった。私はより多くの質問をし始めていった。

国連で、私は質の高い、難しい質問をする、という認識が広がり始めた。

国連での国際社会から私への態度が別のものになったと実感したのは、アラブ諸国連盟国連大使から昼食会への招待が来た時だ。招待された記者10人ほどのうち、日本メディアの記者は私だけだった。

私は15分ほど早く着いた。大使はもうすでに部屋にいて、静かに私のところへ歩いて来た。私の目を見て、自己紹介せず、「第2次世界大戦後の中東と東アジアにおける米国の外交政策の違い、その違いが由来する点は」と聞いて来た。

私は試されていた。

緊張しながら、「アメリカは東アジアの国々を、海路を守るため同盟国として工業化し、中東内では主権を握る国家が現れないよう勢力の均衡を保つ政策を実行し、違いの由来はロシアの脅威の存在…」と答えた。

大使は頷き、無言で席に戻った。私の答えに満足したかどうか、分からないまま、昼食会が始まった。

外交官は私を真剣に扱うようになった。

この時期、読売幹部は水野さんを加藤さんと入れ替えた。水野さんが到着する頃は、私の仕事ぶりは伸びていた。一面の特ダネを幾つか取り、結果を出していた。アイシスの資金調達に対するロシアの決議案は、ニューヨークタイムズやロイターよりも早く入手した。

質問をするのが楽しくなって来た。私の質問の答えは、たまに世界規模でニュースになることもあった。

国連総会を担当した主任建築家が、再建工事終了後、国際メディアのためツアーを行った。私は彼に尋ねた。「席に関して質問があります。近日中スコットランド独立選挙があります。これから現れるかもしれない加盟国の予備席は用意してありますか?」

「いい質問じゃない!」ニューヨークタイムズの記者は感心していった。建築家は、微笑み、ためらって、間を置いた後、国際メディアに現在存在する加盟国は193カ国だが、国連総会は206席用意してある、と答えた。記者全員、携帯電話を取り出し、その場で世界中に国連総会はまだ存在しない加盟国13カ国の予備席がある、と流した。

国際メディアからのジャーナリストは、私の世界情勢に関する分析を問い、それを記事に取り入れ始めた。例えば、パス・ブルーの創立者とライターが、私になぜサマンサ・パワー米国連大使が、元ジャーナリストなのにもかかわらず、記者会見に出席しないか、コメントを求めて来た。私のコメントが多く記事に取り入れただけではなく、この記者は米国国連代表部が私に「マシューからの電話は必ず取るよ」といってくれたことも書いた。

米国国連代表部の副報道官は、この記事を読んで神経にさわり怒った。私はパワー大使は多分ホワイトハウスの指示によりメディアを避けている、と見ていた。国連内で私に走りよって来て、私の顔に指をさし、「興味深いコメント」だと怒鳴って来た。しかし怒りが収まった後、彼は私の米大使に関する分析が記事内で最もフェアーなものだと認めた。そこで私は、「俺の分析、正しかった?」と聞いた。何秒か沈黙が続き、そして結局は答えてくれなかった。しかし、体でのリアクションを見て、彼は口頭では認めないが、私の分析は的をついていたのだろうと思えた。

その瞬間が訪れた。北朝鮮の年次報告書が回り始め、ロイターがすでに入手し記事を書いていた。水野さんが電話して来た。口調がいつも以上に真剣だった。

まずベストの情報源に電話した。この人は私が求めていない文書を送って来た。

再度電話した。2回目、見事、北朝鮮の年次報告書を渡してくれた。読売がここ数年入手できなかった文書だ。

私の国連での2年間、人生で最も幸せではなかったが、最もスリルある2年間だった。私の競争相手全て、読売新聞が国連で持ち合わせていない情報源、または地位を確保していた。2年間という短い時間で、戦争やジェノサイドで殺し合うほどお互い嫌っている国々を代表する外交官、国連官僚、ジャーナリストに囲まれながら、日本の競争相手だけでなく、欧米のトップ組織、ニューヨークタイムズやロイターに勝つこともあった。

私の働きぶりと熱意は国連の国際社会に認められた。短時間で情報源を一から築くだけでなく、世界各国の代表者たちと生涯続くであろう友人も作れた。国連は、世界中から最も優秀な人材が集まる。その世界のベスト・アンド・ブライテストに、同格として扱われた。国連を取材するジャーナリストは皆、同じ扱いではなかった。オフレコで、世界各国からの有力で、有望な人たちと世界情勢について語った。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、日本、ドイツ、リトアニア、ヨルダン、イスラエル、イラク、パキスタン国々など。

これからの私のキャリアを進めるにあたって、国連での働きぶりが通用しない環境と課題に直面することになるだろう。しかし、私はどこにいても、日本人、アメリカ人、そして国際的な専門家と信頼関係を築けることができる。多彩な環境のルールを短時間で習得できる柔軟性も備えている。

私はあなたに世界をもたらすことができる。

Google は私と入れ替われるか?

なぜ質の高い翻訳・通訳はまれなのか?

「人間関係」を例にしてみよう。

日本語は英語と全く同じ言い方をする。日本語を英語に直訳すると、人間はヒューマン、関係はリレイションシップとなる。

なるほど。このフレーズは簡単に訳せる、と思うだろう?

しかし、以外と難しい。

英語で「ヒューマンリレイションシップ」はプラスの意味。友情、恋愛、家庭...生きがいのある人生を生み出すものが含まれている。

日本語で「人間関係」はネガティブなニュアンス。職場での揉め事、ゴシップ、裏切られた友情...人生に挑むようなものが要求される。

「職場での人間関係」を英訳するとニュアンスがネガティヴからプラスへ変わる。

これは単なる一例だ。直訳は言葉の意味を失わせる結果に繋がることが多い。有能な翻訳者・通訳者は環境ごとに使用される言語とその言葉の内に秘められているニュアンスを把握している必要がある。

翻訳は、言語間で書かれたテキストを変換するプロセスだ。

質の高い翻訳者は、言葉のみ訳すだけではなく、文章の本質を見抜き、ターゲットとなる言語に独自の書き方で再表現する。世界有数のトップ翻訳家の作品を読んだ時は、あまりにも創造的で文章がオリジナルからかけ離れているように見える。だからこそ世界有数のトップと認められるのである。

翻訳家はもうすでに訳された作品を訳したがる。例えば、源氏物語の翻訳作品は複数ある。元の作品の質が高ければ高いほど、翻訳しがいがあり、訳す方法が幾つもあるからだ。

翻訳は、時間をかけて、言葉の意味を試行錯誤しながら仕事に取りかかれる利点がある。(厳しい締め切りに直面していない限り!)

通訳はそうはいかない。通訳(口頭翻訳)は仕事内容が根本的に違う。秒単位以下の時間で、適切に表現される意味を判断しなければならない。

ブロの通訳者は、そのクライアントの権力、評判、財産、さらに命までも任される場合がある。法廷での解釈、病院で医療専門家のために、2つのビジネス間の交渉の場で。間違った通訳は、商談をダメにするどころか、人の命に関わる時もある。

ビジネス交渉中に誤って10万ドルを10万円と解釈した場合、どうなるだろうか? 10万円は約1000ドルになる。

病院で、強い副作用がある薬の投薬量を誤訳すると、どうなるだろうか。

これは、ほんの1例に過ぎない。

通訳者は集中力も要求される。ややこしい技術的専門用語の波に埋もれ、会話が遅れたり、クライアントが対立的で、感情的になる場合もある。その中、通訳者は中間的存在だということを忘れずに、その場に居合わせる人の発言を、落ち着いて、全て正確に訳すことが要求される。

優れた翻訳者・通訳者は、言語の文化的背景も知っていなければならない。文化の違いが言語に反映されることはよくある。直訳しようとすると、意味のない文章が出来上がってしまう。優れた翻訳者・通訳者は言語の違いだけでなく、文化的価値観の違いも訳すことが要求される。「俺は子供の頃のび太のようなキャラだったんだ」を直訳したら英語圏の人間ほとんどはその意味を理解できないだろう。

Google は異なる2つの言語と文化の中を21年同時に育った人間の能力を置き換えられるソフトウェアを開発できるだろうか。今の所はまだのようだ。人工知能テクノロジーで、もしかしたら?

日米文化、一体どう違うの?

日本とアメリカは違った国...と言うのは簡単だが。

どうちがうの?の問いに正確に答えることは難しいけれど、方法はもっと面白い。

簡潔にいうと、アメリカは自己主張と個人主義に基づくロウコンテクスト文化。日本は合意形成型のハイコンテクスト文化。

どういう意味?と思っているかもしれない。

社会学者は、社会をロウコンテクスト・ハイコンテクストに分けて定義する。ハイコンテクスト文化は日本を含め、タイ、ロシアなどがある。規則は重要で、伝統は価値 があり、適時性は重視される。ロウコンテクスト文化には米国、イスラエル、ニュージーランドなどがある。規則は柔軟に守られ、伝統を破る事はしばしば。遅刻を許す 傾向があり、それほど重要なこととは考えられない。

日本は世界で最もハイコンテクスト社会の一つと考えられている。歩道で、周りに車がなくても、赤信号では道路は渡らない。パーティーなどには日本人は時間通りに来 る。日本人は暗黙の同意を好むので、契約書はそれほど重要視されない。日本社会には公に言われなくとも守るべきルールがあり、それに従うことが期待されている。

アメリカは一般的にロウコンテクスト。歩行者は周りに車がいても信号を無視する。 パーティーに少々遅く着くのが一般的。アメリカ人は日本人より社会的規則や決め事 を破る傾向が強いので、同意書や契約書は必要不可欠になる。

日本社会は合意形成型。どのグループに属しているかはアメリカよりも重要だ。例えば、起業家シップ(エンタープラナーシップ)はそれほど見られなく、求職者は大手企業に雇われたがる。学校の入学式、会社の入社式、そして成人式など、日本人は好んで参加する。

日本社会は前例を厳密に守る。アメリカより、一旦決まった規則やグループ・団体の合意は変えにくい。70年代、80年代、政府指示のもと日本企業が成功した例を見るように、形成された合意が有効であれば大成果に繋がる。しかし、同時に、89年バブル崩壊後の90年代には、日本は必要とされた改革を取り入れるのを躊躇した。 合意に反する行動を嫌がったためである。

アメリカは個人主義である以上に、自己主張の文化でもある。アメリカ人は自分の声を社会に聞いて欲しいだけではなく、社会を変えたがる思いが強い。エンタープラナーシップは日本より多く見られるだけでなく、社会的に後押しさ れ、尊重される。発言の自由と民主主義の基盤より、マイノリティー運動に繋がる。 公民権運動、女性解放運動などによって、社会に影響力を求め、抗議が行われる。

アメリカの個人主義は卒業や退職が日本より重視されることにも現れる。アメリカ社 会は日本より権威を信用していない傾向がある。

この結果、アメリカ国内は、よく言われる「文化のるつぼ」で、対立した社会にな る。政治的に、イデオロギー的に、そして人種的、ジェンダー的に。それぞれが自身の声の社会的影響力を求め、主張しようとしている。

社会モデルの違いは両国がどう首相を選ぶかにも現れる。アメリカでは、大統領は議 論・論争の中、選挙人システムによって直接選ばれる。日本は総理大臣が国会で選出され、合意のもと選ばれる。

この違いは組織がどのように機能するかによっても確認することができる。米国政府と企業の行動は日本のより柔軟性がある。その反面、米国組織は長期的ビジョンに欠如して、行動に先見の明のなさが見られる。オバマからトランプ大統領に変わった結果、世界規模で影響が見られるなど、米国政府と組織はその行動が予想しにくいところがある。

日本は、社会的、組織レベルでアメリカより柔軟性に欠けるが、長期的ビジョンを持つリーダーシップによって、コンセンサスのもと確立されたプランを堅持して、社会構造に従う能力が強い。短所は、プランが明らかにうまくいっていなくても、日本人はやり方を変えたがらない傾向がある。

どちらが優れているか?それは私にはわからない。しかし、この二つの違った世界、 私は自由に操作することができる。

例を挙げると、論争に溢れた競争の激しい国連で、ロウコンテクスト国家の代表者に引けを取らずに、自分自身を効果的に主張して、 アメリカ国務省の外交官などと、 堅い関係を築くことに成功した。ハイコンテクスト国家の代表者や国連職員、日本だけではなく中国、ロシア、ベトナムなどの国々と、信頼関係を深めることもできた。ウェルズファーゴ銀行で務めていた頃、アメリカ個人主義の環境をうまくナビゲートしながら営業の実績を上げ、仙台で津波被災者支援に励んでいた時は、日本国際飢餓対策機構の合意形成プロセスに貢献した。

日米両文化のモデルには、長所と短所がある。私は異なる両方の価値を最大限に引き出すことができる。

他の違いとして、上下関係とそれを反映する言語、男性像・女性像の定義、日常生活でのユーモアの役割などの違いもあるが、今回あえて触れないでおこう。

日米文化の違いについて、もっと奥深く話し合いたいのであれば是非連絡を。